中高との地下通路(広報委員の記事)
何の記事を書こうかと話し合いをしているとき、「噂なんだけど、昔は小学校と中学校をつなぐ通路があったらしいよ。」という話が出ました。しかし、誰もその通路を通ったことがないし、入口も見たことがありません。そこで、5年桜組と6年桜組は、実際に小学校と中学校をつなぐ通路があるのか調査をすることにしました。
まずは、噂が本当かどうかを確かめるため、もっとも学校について知っていそうな保倉校長先生にお話を伺うことにしました。すると、「私も通ったことがないけれど、扉の場所は知っています。」ということですぐに案内してくださいました。
昇降ホール(下駄箱)の奥に扉がありました(図1)。現在は倉庫として使われている場所です。倉庫の奥には棚があり、その後ろに古い扉がありました(図2)。
図1 下駄箱の倉庫
図2 棚の後ろの扉
校長先生によると、これが昔通路として使われていたところの入り口のようです。これで、噂は本当であり、小学校と中学校をつなぐ通路があったことがわかりました。
その後、通路についてもっとよく調べるため、資料室に行きました。その中にあった「小学校のあゆみと思い出」には、次のような地図(図3)が載っていました。この地図によると昭和25年(1950年)ごろに地下道があったことが分かります。しかし、当時は校舎の場所が違ったので、通路がどこにつながっているのかは、よくわかりませんでした。そこで、Google Earth(現在の地図)で地形をもとに調べてみると、今の中学のレンガ塀のあたりにつながっていることがわかりました。
図3 昭和25年の地図
建物は現在倉庫として使われていました。床には木の板が敷かれていて、この下に通路につながる階段があったようです。壁に貼ってあるタイルの模様は、板の下に繋がっていて、階段の名残があることが分かりました。ここまで調べてみると、中学校側の入口も見てみたくなったので、中学校の青木校長先生にお願いして、通路の場所に案内していただきました。
当日、中学校に伺うと、中学校の校庭にレンガ造りの建物がありました。これが、中学校側の出入り口だそうです(図4)。
図4 レンガ造りの建物(中学)
これらの情報から、小学校と中学校を結ぶ通路は実際にあったこと、そして今は入れないことがわかりました。
同級生が、卒業生の祖母に聞いたところ、60年ほど前には、この通路を実際に生徒や先生が使っていたようです。その頃小学校は教室が足りず、生徒が中学校の教室を借りに行くことがあり、車通りの多い道路を渡ると危ないので通路を使っていた、とのことでした。
この記事を作ってみて、みんなで協力して調べることの楽しさを学ぶことができました。